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天皇の「万世一系」をくつがえす衝撃の学説!古代の天皇家に王朝交代はあったのか?【後編】

天皇の「万世一系」をくつがえす衝撃の学説!古代の天皇家に王朝交代はあったのか?【後編】:2ページ目

継体天皇即位の経緯

第25代の武烈天皇は子どもをもうけることなく崩御してしまったので、大伴金村らの群臣が後継者を協議しました。

最初に選ばれたのは第14代の仲哀天皇の五世の孫(五世代あとの孫)・倭彦王でしたが、迎えにきた群臣らの威儀を整えた列を見て、倭彦王は逃げてしまいました

次に選ばれたのが、継体天皇こと男大迹王です。

男大迹王の父・彦主人王は応神天皇の子孫で近江国(滋賀県)にいました。そこで越の国(福井県)の振媛を娶り、男大迹王をもうけました。

彦主人王が亡くなったあと、振媛は男大迹王を連れて郷里に帰っていたので、金村らは越の国まで迎えに行きました。

しかし、男大迹王は「自分は天子としての才能がなく、力不足である」といって辞退してしまいます。あわてた金村らが必死に懇願し、ようやく男大迹王が承諾して即位する運びとなったのです。

継体天皇は「応神天皇五世の孫」とされています。しかし、継体天皇にはいくつかの謎があり、皇孫であることを疑う専門家・研究者も少なくありません。

中でも一番の謎というか、疑惑を招いていたのが継体天皇の系譜です。

3ページ目 新事実の発見

 

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