
“愛国”とは何か? 飛鳥時代、日本で初めて「愛国」の言葉を授かった名もなき英雄・大伴部博麻
「愛国」という言葉の語源—それは、1300年以上も前の飛鳥時代、ある一人の無名の兵士が起こした行動に由来しているといわれています。その無名の兵士を、大伴部博麻(おおともべのはかま)といいます。
歴史の教科書には登場しないこの人物こそ、日本で初めて“愛国”という言葉を与えられた男なのです。
663年、百済の復興を支援するため日本が派遣した軍が、朝鮮半島・白村江の地で唐と新羅の連合軍と激突しました。これが有名な「白村江の戦い」です。
戦況は圧倒的な劣勢。日本軍は敗北を喫し、多くの兵士が命を落とし、捕虜として唐に連行されました。大伴部博麻もその一人でした。
連行先の唐の都・長安で、博麻は奴隷同然の生活を余儀なくされます。それでも彼は生き延び、ある日、とんでもない情報を耳にすることになります。
「唐が、日本への侵攻を計画している」
もしもこの情報が祖国に伝わらなければ、日本は再び滅びの危機に直面するかもしれない。自らは帰国できない。だが、他の仲間たちなら。
博麻はなんと、自分自身を唐の民に“奴隷として売り”、その資金で、同じく捕らわれていた4人の仲間を帰国させました。
帰国した彼らは、天智天皇に唐の侵略計画を報告。その情報を受け、日本では急遽、水城や大野城といった防衛拠点の整備が進められました。
結果、唐・新羅連合軍は日本侵攻を断念。たった一人の兵士の自己犠牲が、祖国を救ったのです。
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